プラハ国立劇場

オペラハウス

1783年ノスティツ・リーネク伯によって建造された劇場は、ヨーロッパの中でも、最も美しく歴史的な劇場建築のひとつに数えられる。「ノスティツ劇場」と命名されていたが、のちにボヘミア(現在のチェコの)貴族に売却されて「スタヴォフスケー劇場(チェコ語で貴族劇場)」と呼ばれるようになった。ウェーバーが3年ほど楽長を務め、マーラーが1シーズン指揮をとったこともあるほど活動は当初より盛んであったが、第二次大戦後、共産党政府の時代を経て、1989年ビロード革命が起き、名称や所属を変えながら劇場も市民とともにその政治体制の変換を生き抜いてきた。現在は、3つのオペラ座と2つの小劇場により構成されているプラハ国立劇場の一部となっている。モーツァルト自身が指揮した『フィガロの結婚』が大成功を収めたのち、1786年《ドン・ジョヴァンニ》が本劇場のために作曲され、1791年には《皇帝ティートの慈悲》がこの劇場で初演されるなど、モーツァルトゆかりの劇場として、「モーツァルト劇場」とも称される。現在では、モーツァルトが自作オペラを指揮した唯一現存する劇場となっている。M・フォアマンの映画「アマデウス」のオペラ・シーンはこの劇場で撮影された。