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アントニーノ・シラグーザのリサイタル公演評を掲載しました

先日10月31日、紀尾井ホール(東京)で開催されたアントニーノ・シラグーザのリサイタル評論が寄稿されました。シラグーサは来年、2019年6月公演予定のボローニャ歌劇場「セヴィリアの理髪師」ではアルマヴィーヴァ伯爵を演じます。


変わらぬみずみずしい声、理想的な超高音、進化する表現
アントニーノ・シラグーザに圧倒された一夜

 
 歌手の声は歳とともに変化する。とりわけ非日常的な高音域で歌うテノールは、常識的には、五十路を迎えれば衰えは避けられない。その道理で言えば、10月31日に東京の紀尾井ホールで開催されたアントニーノ・シラグーザのリサイタルは、あまりに“非常識”であった。声にも表現にも衰えがないばかりか、むしろ進化を遂げていたのだから。

シラグーザの初来日は1998年。3人のテノールが競演する「テノール・ガラ」で、モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》から「いとしい人の愛の息吹は」、ベッリーニ《清教徒》から「いとしい乙女よ、あなたに愛を」を歌った。私も会場にいたが、故郷シチリアの空のような声の明るさと表現のやわらかさ、輝かしいCisの最高音に驚嘆させられた。

それから20年。54歳になったシラグーザのリサイタルには上記2曲をふくめ、テッシトゥーラ(中心となる音域)が高い曲やハイC以上の超高音をふくむ曲など、50代のテノールにとっては困難な曲ばかりが並んでいたが、それが彼には常識的な選択であることはわかっていた。今年6月にボローニャで、ロッシーニ《アルジェのイタリア女》のリンドーロという、テッシトゥーラが高く超絶技巧が求められる役を、完璧に歌うのを聴いていたからだ。

 だが、リサイタル当日、その声は前半から想像以上に冴えわたった。デ・クルティス「泣かないお前」も、トスティ「暁は光から闇を隔て」も、歌声は20年前と変わらずみずみずしく、さらに驚かされたのは声と表現の進化だ。低中音域で浅くなりがちだった発声は深まり、超高音域へと声区を転換する際のきしみも消えている。だから、すべての音域で質感の高い声が響き、声のパレットの色彩も増えている。弱音から強音の間を自在に往復しながら表情と色彩を巧みに加えるのだ。1曲ずつ声の調子を上げ、前半の最後、ダッラ「カルーゾー」は、哀感がこもった高音が打ち続き、胸がいっぱいになる。

 真骨頂は後半のアリアだった。20年前と同じ2曲は、モーツァルトのやわらかさは絹のようで、ベッリーニのCisは輝きを増している。20年歌い続けられるだけでも立派だというのに。ロッシーニ《ラ・チェネレントラ》のドン・ラミーロのアリアでは、小さな音符の連なりを敏捷に歌うアジリタもハイCも完璧。ドニゼッティ《連隊の娘》のトニオのアリアでは、9回のハイCを楽々と響かせ、最後は長々と引っ張った。若いテノールも怖気づく離れ技を軽々とこなしながらフォームの乱れはなく、歌心は溢れんばかりにある。もはや化け物である。

 しかも、難曲を立て続けに歌った後、アンコールも難曲ばかり。プッチーニ《ラ・ボエーム》の「冷たい手を」も、ロッシーニ《セビリャの理髪師》のロジーナに捧げるカンツォーネも、これほど美しく歌われることは滅多にない。チャーミングな表情とジェスチャーによる客席との対話も抜群で、客席はスタンディング・オベーションに。願わくば、この世界遺産のようなテノールの歌をオペラで聴きたいが、幸い、来年6月、ボローニャ歌劇場の来日公演で《セビリャの理髪師》のアルマヴィーヴァ伯爵を披露してくれる。待ち遠しくて仕方ない。 
 
香原斗志(オペラ評論家)